
ワトソン君
20代後半、ゲイ寄りバイ。 研究者 兼 会社員。 婚約者のいる親友に、恋心を抱いてしまいました。 いい歳をして自身のセクシャリティが受け入れられず、 異性を好きになろうと無駄な努力をしています。
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- 26/02/13 少年期までに俺を形成したもの(習い事編)
──多趣味になるまでの土台の話前々回は「大切な人と思い出の品」について書いた。今回はもう一つの側面。私ワトソンがなぜこんなにも色々なことに手を出す人間になったのか。その“多趣味の根っこ”を辿ってみたい。⸻① 公文式 ― 知的土台幼少期の僕に、初めて「やればできるかもしれない」と思わせてくれた場所。いじわるばあさんみたいな教室長は、今思えば名伯楽だった。どんどん先の教材を渡され、必死についていった。高校1年の微積分までは、その頃の貯金で生きていたと思う。高1でその貯金を使い切り、成績は落ちた(笑)。でも、「一度でもできた」という感覚は消えなかった。知らないことに出会っても、どこかで「まあ、やれば何とかなるかもしれない」と思える。多趣味の最初の燃料は、たぶんここで補充された。⸻② ピアノ ― 感性の土台4歳から習っていた。当時は正直、やらされている感覚が強かった。でも今、これが一番大事な趣味になっている。シンママの母にとって、ピアノは決して安い買い物じゃなかったはずだ。それでも与えてくれた。そのおかげで、クラシックもジャズもミュージカルも、新しいジャンルに触れても拒否感がなかった。「知らない音」に出会うのが怖くない。知的好奇心に対して、感性の扉も開いた。多趣味の幅は、ここで一気に広がった気がする。⸻③ 野球 ― 運動音痴スタート小学4年。仲の良かったマーくんと話を合わせたくて入部。運動はてんで苦手。球は打てない、捕れない。話にならない。でも続いた。コーチや監督が、プレイヤーではなく「ムードメーカー」として居場所をつくってくれたからだ。「役割」は能力だけで決まらない。できなくても、関わる余地はある。これは後々、いろんな世界に飛び込む勇気になった。⸻④ バスケットボール ― 身体と意識の葛藤中学の部活。怒鳴る顧問、怖い先輩。夏の半日練。蒸し風呂の体育館で走らされ、最後は馬跳び2周。暑さと疲れで意識がぼやける。どの筋肉をどう動かせばいいのか分からない。それでも跳ぶしかない。あ、手をつくのを忘れた。ズデーン‼️身体と意識が噛み合わない。「俺は何をしているんだ」と本気で思った。でもやめなかった。正確には、やめられなかった。後輩ができたとき、嫌だったことは繰り返さないと決めた。苦手でも、怖くても、その場で踏みとどまる経験が、少しずつ耐性を作った。⸻⑤ 水泳 ― 恐怖の克服いちばん嫌いだった習い事。水が怖くて、25m泳げなかった。息継ぎができなかったのだ。今なら分かる。溺れる恐怖で、身体が息を吐くことを拒んでいた。頭では理解していても、身体が言うことをきかない。それでもやめさせてもらえなかった。25mを泳ぎ切れた日の感覚は、今も覚えている。あれは「怖さは越えられる」という実感だった。新しいことに手を出すとき、あの感覚を思い出している気がする。⸻⑥ 体操教室 ― 仕込まれていた身体の基礎実は、いちばん最初に通っていたのが体操教室だ。当時はただ友達と遊んでいる感覚だった。でも逆立ちや側転を繰り返す中で、「自分の身体が空間のどこにあるか」を感じる神経が育っていた。野球で打てなくても、バスケで転んでも、水泳で溺れかけても、身体は少しずつ学習していた。今、スキーやスノボ、筋トレやランニングを楽しめているのは、あの頃の基礎があるからだと思う。全部バラバラに見えていた経験は、ちゃんとつながっていた。⸻結び振り返ると、どれも最初は自分の意思で始めたものではなかった。でも、触れた分だけ世界は広がった。できた経験。できなかった経験。怖かった経験。続けさせられた経験。全部が、「とりあえずやってみる人間」をつくった。あのときは分からなかったけど、ちゃんと全部、今の自分になっている。
2026/02/12


