
焙煎ユウタロウ
焙煎ユウタロウ — 30代後半ゲイ、医療職 日常や気持ちを書いてます 仕事・恋愛・健康、 日々の中で考えたことを、そのまま言葉にしています。 たまに長めのエッセイも更新します。
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- 男の理想だけが高くなった僕たちへ
男の理想だけが高くなった僕たちへ気づいたら、SNS上で理想の男をたくさん目にするようになった。顔がいい。体が仕上がっている。仕事ができそう。余裕がある。言葉選びも、振る舞いも、洗練されている。そういう人たちをわざわざ探さなくても、SNSで毎日流れてくる。少し前は違った。比較対象は、学校やバイト先、職場、せいぜい友人の友人だった。「この中で、まあ悪くない」そのくらいの基準で、人を好きになれていた。でも今は、違う。SNSを開けば、完成された男が無限に現れる。一度でも長く見たら、アルゴリズムはそれを「好み」だと判断する。そしてどんどん、上位互換みたいな男を、回転寿司のように勝手におすすめしてくる。素敵な男性を見るのはいいことなのだろうが、ただどうだろう、目が慣れてしまった。もしかしたら自分にも出会えるチャンスがあるのではないかと錯覚する。すると、何が起きるか。現実で出会う男性を、無意識に減点方式で見てしまう。顔も体も悪くない。でも、理想にはどこか足りない。その足りなさは、相手の問題というより、こちらの基準が上がりすぎただけなのに。理想だけが、どんどん高くなっていく。でも、出会いの数は増えない。人生における出会いの母数は、そんな変わらないものだ。だから僕たちは、「いい人がいない」と感じる。実際には、いい人の定義だけが、現実から少し離れてしまっているだけなのに。SNSもイケメンやハイスペックな人たちも、悪くない。問題があるのは、見慣れてしまい肥えてしまった僕たちの目だ。そしてもう一つ思うことがある。理想が上がった分、自分に向ける目も、少し厳しくなる。「あの人みたいになれない」「自分は人から見たらどうなんだろう」そう考え始めた瞬間、誰かを選ぶことも、どこか怖くなる。選ぶという行為は、同時に選ばれることもあるからだ。スマホの画面の中で覚えてしまった理想と現実で出会う人間は、同じじゃない。それを忘れたままじゃ、誰と出会っても、満たされない。男の理想だけが高くなった僕たちへ。その目が肥えたこと自体は悪いんじゃない。その理想が、現実を遠ざけていないか。それだけは、時々思い出したほうがいいと思う。
2026/02/12 - 連絡が途絶えた人と、また会ってしまう理由。
ネトフリの『ボーイフレンド』を見ていて、自分にも身に覚えがある場面があった。昔一度会ったことがあるけれど、いつの間にか連絡が途絶えて、それきりになっていた人と、また再会する、という話。ゲイの世界では、珍しいことじゃない。かくいう僕も、そういうことは何度か経験している。理由はいつもはっきりしない。何となく予定が合わないうちに自然と連絡を取らなくなってしまったり、「悪くはないけど、恋人としては違うな」と感じてしまったり。そして、ある日ふと、また連絡を取ったりする。友達のインスタグラムにタグ付けされていた写真。マッチングアプリでの、偶然の再会。懐かしい名前と、見覚えのある笑顔。ほんの出来心で、「久しぶり!」と送ってみたりする。人の記憶は、都合よくできている。嫌だったことよりも、楽しかった雰囲気や、あの時感じたときめきだけを思い出す。今なら違うかもしれない。あの頃より大人になっているかもしれない。そう期待して、会ってみる。一緒に過ごして、思い出す。ああ、そうだった。ここが、少し苦手だったんだ。会話がいまいち盛り上がらない。恋愛の価値観が違う。夜の相性。一緒にいても、どこか気を遣ってしまう感じ。その場では言語化できなかった違和感が、時間を経て、ちょっとずつ蘇ってくる。人としては嫌いじゃない。でも、やっぱり違う。そしてまた、「また遊ぼうね」と言いながら、連絡は少しずつ減っていく。不思議だけど、まぁそれでいい気もしている。思い出が美化されるほど、過去は魅力的に見える。でも、今の自分が感じた違和感は、たぶん、あの頃の自分も感じていた。ただ、言葉にできなかっただけで。
2026/02/02


